すっかり雪が消えたと喜んでいたのに、今朝は庭が一面真っ白になっていました。
3~4センチは積もったかな。
でも、さすがに地表の熱が高くなっていたせいか雪は午前中ですっかり消えてしまいました。
今週のあたま、今回から年に1回になった健診のため仙台の病院へ行ってきました。
地下鉄からの階段を昇りきると、大きな道路の交差点に出ます。
ここは震災直後、やっと連絡の取れた友達に貴重なお米や食料品を分けてもらうために待ち合わせをした思い出の場所です。
今回は3月11日が近いということもあり、病院までの道すがら
震災前後の日々を色々思い出していました。
震災当日の3月11日、夫が目の精密検査のため行った大学病院からちょうど帰宅したところで激しい揺れに会いました。
(最大震度7)
この日からしばらくの間、被災地の医療機関はパニック状態に陥り、そこで勤務されている方々はもちろん
闘病中の方々もたいへんな苦労をすることになります。
薬剤が足りなかったり、停電や断水になり、治療中の方は定期的に東京まで通ったことも聞きました。
夫もその後の検査予約はしていたのですが、優先順位でいつになるかわかりませんでした。
その状態も少し落ち着き、3月11日から1ヵ月近く経った4月7日、再び起きた激しい揺れの時、
私は点滴に繋がれたベットの上にいました。
もともと予定されていた治療のため入院していたのです。
ストッパーの掛かったベットも遠慮なくグラグラと大きく動くんですね。
もうろうとした意識の中でも意外と冷静でいられた自分を思い出します。(最大震度6強)
この時の病院食はアルファ米と缶詰のおかずにペットボトルの水。
病院で同室だった気仙沼から来たおばあさん、3月11日は手術前の検査の為病院に来ていて助かりましたが、
自宅はすっかり流されてしまったそうです。
自分のことを「ホームレスばあさん」と笑っていましたが、
せっかく助かった命だから、これからは誰かのために生きていきたいと言っていた強い眼差しが忘れられません。
3月11日がまた巡ってきます。
私なりに生かされてる意味を考えていこうと思います。
☆pecoさんへ
おはようございます・・三寒四温すこしづつですが春に近づいてきてますね。
震災の時大変でしたね~
ややもすると忘れがちですが、当時の思いを伝えていきたいですね~
LYNX☆さん
いつもコメントありがとうございます。
帰省した娘が、被災県と他県での3.11に対しての意識の温度差に戸惑っていました。
あの日からまだ6年なんですね。
色んなことがあり過ぎてもう10年も経ったような気がしています。